フィリピンのグロリア・マカバガル・アロヨ副大統領は20日、マニラで宣誓式を行い、大統領に就任した。
就任直後の演説では、政治混乱の収拾と国民和解に取り組む姿勢を強調した。
これに先立ち、政権が事実上崩壊したエストラダ大統領は辞任を決めた模様だ。
《「エストラダ政権の歩み」に関して英語にて解説》
大統領の汚職や不正蓄財疑惑を解明するため12月に始まった弾劾裁判で疑惑を裏付ける証拠・証言が相次いだため、大統領は今月16日に最も不利とみられた証拠の開示・採用を多数派工作で否決に持ち込んだ。
[「同国初の大統領弾劾裁判」を英語記事のトピックとして]
翌17日、検察団を構成していた下院議員全員が抗議のため辞任し、弾劾裁判が中断した。
こうした強引な手法が市民の怒りに火をつけ、全土で大統領の退陣を求めデモが拡大。
10月以来の政局混乱に対し中立の立場を示してきた軍が呼応し流れを決定づけた。
19日には主要閣僚が相次ぎ辞任を表明し、大統領は八方ふさがりに追い込まれた。
〔英会話表現による言い換え〕
エストラダ政権の末路はマルコス政権と似通っている。
<英会話/ディスカッション:フィリピン政変とピープルパワー>
1986年2月の大統領選では、独裁政権を維持するマルコス大統領に対し、野党側はコラソン・アキノ氏を擁立して全面対決。
アキノ氏優勢が伝えられる中、中央選管を押さえるマルコス大統領が勝利宣言を強行。
当時の国防相らが反旗を翻し国軍基地に立てこもると、マルコス退陣を支持する市民数十万人が基地を取り巻いた。
マルコス政権崩壊後、政権の座に付いたアキノ元大統領とラモス前大統領はフィリピンの伝統的なエリート層の出身だ。
こうした支配層にとってアウトサイダーだったエストラダ氏の登場は、この「ポスト・マルコス」路線を断絶させる形になった。
今回の退陣劇はエリート層の巻き返しとみることもできる。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
98年の大統領選でエストラダ氏は「庶民の味方」を標榜し、低所得層を中心に圧倒的な支持を得て当選した。
しかし、大統領就任後は身内びいきと腐敗の蔓延が露呈。
違法とばく上納金疑惑が致命傷となり、頼みの綱だった大衆の支持も徐々に低下していった。
《「大衆への裏切り」について英会話》
この間の2年半、フィリピン経済は低迷を続けた。
[「同国の深刻な経済危機」を英語論説のテーマとして]
昨年の成長率はアジア主要国の中で最低水準となり、株価は3割、通貨ペソは2割下落した。
政権が国際的な信用を失い、海外からの投資は落ち込み、資本流失が相次いだ。
アロヨ氏はフィリピン大学で85年に経済学博士号を取得、77年から10年間、同大学で教壇に立った。
アキノ政権では89年に貿易産業省の次官に就任。
<英語記事:経済運営手腕に対する評価>
92年、上院選に出馬して当選し、政界入りした。
98年の副大統領選では史上最高の得票を記録、将来の大統領候補に浮上した。
大統領を退陣に追い込んだことで、フィリピン社会は政権腐敗に対する自浄能力を示した。
[「同国の民主主義の成熟度」を英会話/ディベートのテーマとして]
ただ、エストラダ政権を生む土壌となった貧富の格差や経済構造のゆがみはなお解消していない。
アロヨ新大統領は社会・経済の構造改革にどう取り組むのか手腕が問われている。
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