ミャンマー軍事政権は19日、キン・ニュン首相が「健康上の理由で辞任した」と発表した。
同首相は自宅軟禁下にあり、不正蓄財容疑で取り調べを受けているもようで、事実上の更迭とみられる。後任の首相にはソー・ウィン第1書記が就いた。
《「ミャンマー軍政」について英会話》
ソー・ウィン氏は最高実力者タン・シュエ国家平和発展評議会(SPDC)議長の側近で、強硬派として知られる。
昨年5月に民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー氏が身柄を拘束されるきっかけとなった民主派と軍政支持者との衝突事件に直接関与したとする説が有力だ。
[「スー・チー氏の拘束事件」を英語記事のトピックとして]
穏健派とされるキン・ニュン氏は首相就任直後の昨年8月末、民政移管プロセスを定めた7段階の行程表(ロードマップ)を発表。
<英語にて解説:民政移管計画>
第1段階として今年5月には憲法制定のための国民会議を再開するなど、軍政なりの民主化への地ならしを進めていた。
同首相はまた、国内の民主化運動に一定の理解を示し、民主派勢力ともパイプを持っていた。
米欧などの批判をかわす狙いで首相に起用されたキン・ニュン氏は自宅軟禁中のスー・チー氏と接触するなど柔軟路線が目立ったことから、外国との対話や民主化を拒む強硬派が反発を強めていた。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
今回の首相交代劇については、軍幹部の権力闘争や利権争いの側面もあるが、直接の背景にはこうした路線対立があったと考えられる。
強硬派が主導権を握ったことで、ミャンマーの民主化は一段と後退し、国際社会の中でますます孤立を深める可能性が高まった。
スー・チー氏の軟禁がさらに長期化する懸念も強まった。
[「政変の影響」を英会話/ディスカッションのテーマとして]
ミャンマーでは、1988年に国軍がクーデターで全権を掌握、90年に総選挙が実施され、スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したが、軍部は政権移譲を拒否、軍政が継続している。
89年以降、スー・チー氏を3度、自宅に軟禁し、国際的な非難を浴びた。
《「ミャンマー軍政の動き」に関して英語にて解説》
民主化が後退すれば国際社会からの圧力が一層強まるのは必至だ。
欧米などの制裁政策とは一線を画し、ミャンマーを国際社会に引き入れることで民主化を促してきた東南アジア諸国連合(ASEAN)などアジア諸国からも批判が強まりかねない。
《「一線を画す」について英語表現の工夫》
ASEAN諸国は10月初旬のアジア欧州会議で、人権弾圧を理由にミャンマーの新規加盟に難色を示す欧州勢を説き伏せ、同国の加盟を実現させたばかりだった。
今回の政変で、ASEANはメンツをつぶされた格好で、ミャンマーに対する融和姿勢を見直す動きが出てくる可能性もある。
<英会話/ディスカッション:ASEANの対ミャンマー外交>
最大の援助国である日本は、昨年5月にミャンマー政府がスー・チー氏を拘束して以降、緊急性が高く、真に人道的なものを除いて、新規の経済援助を凍結している。
[「日本の対ミャンマー援助」を英会話のトピックとして]
キン・ニュン氏を軸に民主化を求める戦略を描いていた政府としては、同氏の軟禁に対し強い懸念を表明する方針だ。
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