5日夜、先月の大統領選挙に端を発する市民の抗議デモが拡大したユーゴスラビアで、野党連合候補のコシュトニツァ氏が新政権樹立を宣言した。
13年にわたって同国を支配してきたミロシェビッチ大統領の独裁体制は事実上崩壊した。
《「ミロシェビッチ大統領の独裁体制」について英語論説》
国営テレビは「中立」を宣言、国営通信もコシュトニツァ氏を「次期大統領」と紹介するなど、体制側メディアも野党支持を表明した。
当初、デモ隊の鎮圧に動いていた警察の機動隊は、市民の勢いに押される形で撤退し、一部がデモ隊に合流、軍も不介入の姿勢を見せている。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
先月24日に実施された大統領選をめぐっては、野党連合側が独自集計に基づきコシュトニツァ候補が過半数を獲得したと主張したのに対し、大統領の影響下にある選挙管理委員会は両候補ともに過半数に届かなかったとして決選投票を実施する方針を示していた。
<英語記事:ユーゴの大統領選>
今回の展開を受け欧州連合(EU)は、ユーゴへの制裁を解除する方針を決めた。
[「ユーゴへの経済制裁」を英会話/ディベートのテーマとして]
新体制支持の姿勢を鮮明にし、政権交代の流れを確実にすることが狙いだ。
また、ユーゴの経済復興に向けた全面支援に乗り出し、国際社会への復帰も後押しする考えを明らかにした。
1989年、東欧諸国では相次いで共産党独裁体制が崩壊し、民主化と東西欧州一体化のプロセスが始まった。
《「東欧革命」について英会話》
しかし、旧ユーゴ連邦では冷戦後、連邦解体の動きとともに民族間の抗争が激化した。
こうした中、ミロシェビッチ氏は民族主義を煽って権力の座についた。
91年年6月、スロベニアとクロアチアが独立を宣言した。
スロベニアでは10日間の内戦後に独立が発効したが、クロアチアはセルビアを中心とするユーゴ連邦軍との4年に及ぶ内戦に突入した。
〔英会話表現による言い換え〕
その間、マケドニアが無血で独立を達成した。
92年4月にはボスニア・ヘルツェゴビナが独立をきっかけに内戦に陥り、セルビア人、クロアチア人、モスレム人の三つ巴の戦闘は凄惨を極めた。
[「ボスニア紛争」を英語論文のテーマとして]
北大西洋条約機構(NATO)軍による空爆が行われ、95年11月、デイトン合意でボスニア紛争は終結した。
98年1月にはセルビア人とアルバニア人が長年対立してきたコソボ自治州で紛争が激化し、ユーゴ軍が増派された。
翌年3月、NATOは「民族浄化」を理由に空爆を開始、6月にユーゴ軍が撤退し、コソボは国連の暫定統治下に置かれることになった。
<英語表現の工夫:民族浄化>
民衆蜂起の背景としては、混乱した経済が回復せず国民の不満が高まっていたことが大きい。
92年から続く欧米の経済制裁の影響が深刻化し、NATOによる空爆でインフラが決定的に破壊されたこともあり、国民生活は疲弊していた。
<英会話/ディベート:NATOによる空爆>
コシュトニツァ氏率いる新政権は当面、欧米諸国との関係改善をテコにした経済再建に全力を注ぐことになるが、連邦を構成するモンテネグロとの関係やコソボ自治州の取り扱いなど難題が山積している。
《「ユーゴ新政権の課題」に関して英会話/ディスカッション》
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