15日、イスラエルは同国南方のガザ地区からの全入植者の撤退を開始した。
《「撤退計画をめぐる推移」について英語記事》
現地では退去を拒否する一部入植者や右派勢力約5千人が抵抗し、各地で小規模な衝突が起きた。
38年ぶりのガザ撤退は、領土拡大による安全保障を目指してきたイスラエルにとって対パレスチナ政策の大きな転換点になる。
[「ガザ撤退の意義」を英会話/ディスカッションのテーマとして]
一方、パレスチナ側は占領地からの全面撤退の端緒に過ぎないととらえている。
ガザ地区は、東地中海沿いの長さ約46キロ、幅約6〜10キロの南北に細長い地域で、面積は東京23区より小さい。
その25%を占める入植地には約8千人のイスラエル人が住み、残りの75%には130万人のパレスチナ人が住む。
<英語にて解説:ガザのパレスチナ人居住区>
ガザは1917年から英委任統治領パレスチナの一部だったが、47年に採択された国連のパレスチナ分割案によって、アラブ人の居住地となった。
《「ガザの歴史」に関して英語論文》
48年の第1次中東戦争後、エジプトの管理下に入り、67年の第3次中東戦争ではゴラン高原やヨルダン川西岸とともにイスラエルに占領された。
イスラエル政府は右派政党リクードの下、ガザに入植地を積極的に建設して占領地の既成事実化を進めた。
大量の資金を注ぎ込んで道路などのインフラを整備し、国民に移住を促した結果、21の入植地ができた。
[「イスラエルの入植活動」を英会話のトピックとして]
87年、ガザは「インティファーダ」と呼ばれるパレスチナ人の民衆蜂起の舞台となった。
《「第1次インティファーダの経過」について英語にて解説》
92年にイスラエルにラビン首相率いる労働党政権が誕生すると和平交渉が進展し、93年、イスラエルとパレスチナ側との間で合意が成立した。
翌年、オスロ合意に基づいてガザとヨルダン川西岸の両地区でパレスチナ人による暫定自治がスタートした。
イスラエルはガザ撤退の狙いについて、パレスチナ過激派はこれまで「イスラエルの占領」をテロの言い訳にしてきたが、占領地からの撤退によって、テロの取り締まりは自治政府の責任であることがはっきりすると説明している。
<英会話/ディベート:撤退の思惑>
リクードの有力者であるネタニヤフ財務相はガザ撤退に反対して辞任した。
右派は、自治政府がハマスなどイスラム過激派を武装解除しないままガザを手放すのは危険だとして撤退に難色を示している。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
シャロン首相はリクードの党首として入植活動を推進してきたが、反対を押し切っての決断の背景には極めて現実的な計算があった。
《「撤退決断の背景」について英会話/ディスカッション》
ユダヤ人の人口比率が低下傾向にある一方、入植地の安全確保のためのコストは増大、入植地の長期維持は困難と判断した。
シャロン首相の真意について、ガザ撤退は「トカゲのしっぽ切り」であり、ヨルダン川西岸の主要入植地を維持し続けるための布石との指摘もある。
<英語表現の工夫:トカゲのしっぽ切り>
実際、西岸では入植地の住宅建設が今も続いており、テロ対策を名目に分離壁が築かれている。
イスラエルは17日から、撤退を拒む入植者の強制退去に乗り出す予定で、反対派の抵抗がさらに増す恐れがある。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
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