2日、11億人の信者を抱えるカトリック教会の最高指導者、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が死去した。
《「ローマ法王のイメージ」について英会話》
法王は長くパーキンソン病を患っていたが、3月31日から泌尿器系の感染症で容体が悪化していた。
ポーランド人カロル・ポイチワが455年ぶりに非イタリア人として法王の座に就いたのは1978年。
在位期間は26年半に及び、歴代264人の中で第3位である。
<英語にて解説:歴代ローマ法王の在位期間>
「空飛ぶ聖座」とあだ名がつくほど世界中を飛び回り、外国訪問は100回を超えた。
イタリア国内を含めた総行程は124万キロメートルで地球約30周分にもなる。
[「精力的な外遊」を英会話/ディスカッションのテーマとして]
81年には来日して広島と長崎を訪れ、軍縮と核廃絶を強く訴えた。
就任早々の79年、共産主義下の母国ポーランドに里帰りし、翌年の自主管理労組「連帯」の結成を促した。
戒厳令によって「連帯」が非合法化された後も、ワレサ議長率いる「連帯」による民主化運動を精神的に支援し続け、89年の非共産党政権の誕生につながった。
《「「連帯」による民主化運動」に関して英語にて解説》
89年にはマルタでの米ソ首脳会談前日に当時のゴルバチョフ・ソ連共産党書記長と会談した。
マルタ会談では東西冷戦の終結が宣言され、その後、バチカンは東欧諸国やソ連と国交を開き、東欧の民主化とソ連崩壊への流れに間接的に影響を与えることになった。
<英語論説:マルタ会談の意義>
96年、ローマを訪れた社会主義国キューバのカストロ議長と会見、これを契機にキューバは欧州諸国との距離を縮めていった。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
98年には法王がキューバを訪問している。
時に政治的すぎると批判されながらも、紛争や戦争に対して積極的に発言を続けた。
《「積極的な平和外交」について英会話/ディスカッション》
最近では、米英軍のイラク戦争開戦に反対し、最後まで戦争回避の道を求め続けた。
キリスト教の他宗派や異なる宗教との対話と和解も積極的に推し進めた。
82年、イギリスを訪れ、英国国教会と約450年ぶりに和解、2000年にユダヤ教徒との確執を解消するためイスラエルを訪問、翌年にはシリアを訪れ、法王としては初めてイスラム教の礼拝所であるモスクに足を踏み入れた。
<英語記事:法王として初のモスク訪問>
教会の過去の行いに対して謝罪を行うこともいとわなかった。
キリスト教会の1054年の東西分裂以来、初めてギリシャを訪れ、十字軍による略奪を謝罪した。
ナチスのユダヤ人迫害をカトリックが黙認したことを認めて謝罪し、地動説で宗教裁判にかけられたガリレオの名誉を359年ぶりに回復させるなど、現実的な対応を見せた。
[「ガリレオの名誉回復」を英会話のトピックとして]
一方、宗教上の規範や倫理の面では極めて保守的で、現実の社会との隔たりは大きかった。
「極度に保守的な教義解釈」に関して英語論説》
女性の司祭を認めず、司祭の独身主義も変えなかった。
産児制限や避妊に反対し、ローマ教皇から全世界の司教にあてられる回勅では体外受精や人工授精を禁じた。
心残りは、ロシア正教会との和解が成らなかったことと、布教を禁じている中国との関係打開が図れなかったことかもしれない。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
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