パレスチナ自治政府は11日、同自治政府のヤセル・アラファト議長(75)がフランス・パリ郊外の病院で死去したと発表した。
アラファト議長は01年12月から今年10月に病状が悪化するまで、イスラエルのシャロン政権によってパレスチナ自治区ラマラの議長府で軟禁状態に置かれていた。
<英語記事:イスラエル軍による議長府制圧>
議長の遺体はカイロに運ばれ、12日アラブ諸国を中心に約60カ国の代表が参列して葬儀を行った後、ラマラの議長府内に埋葬された。
アラファト氏はカイロ大学で工学を学び、1950年代からパレスチナ解放運動に身を投じた。
57年に後のパレスチナ解放機構(PLO)主流派となるファタハを結成し、対イスラエル武装闘争を開始、69年にはPLO議長に就任し、パレスチナ解放運動の指導者となった。
[「PLOの歴史」を英語論説のテーマとして]
冷戦後はイスラエルとの和平路線に転じ、93年にワシントンでパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)に調印した。
《「オスロ合意」に関して英語にて解説》
この政治決断に対し、94年にはイスラエルのラビン首相およびペレス外相とともにノーベル平和賞を受賞した。
96年にはオスロ合意に基づくパレスチナ暫定自治政府の初代議長に就任し、事実上の独裁体制を敷いた。
2000年、クリントン米大統領の仲介により、イスラエルのバラク首相とキャンプ・デービッドで首脳会談を行った。
イスラエル側が大きく譲歩したにもかかわらず、アラファト議長側の拒否で和平交渉は決裂した。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
その後パレスチナ人による自爆テロが散発し、01年12月、イスラエルのシャロン政権はアラファト議長との関係断絶を表明、02年6月には、米ブッシュ大統領も新たな中東和平構想の中でアラファト議長の退陣を要求した。
《「ブッシュ政権の中東政策」について英会話/ディスカッション》
カリスマ指導者を失ったことで、自治政府内では後継問題をめぐって混乱が起きるかもしれない。
議長周辺の腐敗に対しては、パレスチナ住民や若手から強い批判が出ている。
指導部は世代交代を進め、幅広い勢力に開かれた新体制を目指すべきだ。
〔英会話表現による言い換え〕
欧米諸国とイスラエルは、アラファト議長の存在が和平プロセス停滞の一因になってきたとの認識で共通していた。
そのため、アラファト議長の死去に伴って、中東和平の機運が高まるにちがいない。
[「議長死後の中東和平の行方」を英会話/ディベートのテーマとして]
03年4月、中東和平の停滞を恐れ、米国、ロシア、EU、国連の4者は新中東和平案(ロードマップ)を共同提唱した。
<英語にて解説:中東和平ロードマップ>
現在、ロードマップは停滞した状況にあるが、議長の死を契機に、再び軌道に乗せなければならない。
その上で米国が果たすべき役割は大きい。
再選を決めたブッシュ大統領には、中東和平の仲介者として積極的に動いてもらいたい。
パレスチナ紛争解決がイスラム過激派にとってテロ活動の目的として大きな比重を占めている以上、欧米諸国や国連、周辺のアラブ諸国はもちろん、国際社会全体が当事者に和平推進を働きかけていく必要がある。
《「中東和平推進における国際社会の役割」に関して英会話》
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