20日、イラク国民議会は、新首相に指名されたヌーリ・マリキ氏が提出した閣僚名簿を賛成多数で承認し、これにより、03年4月のフセイン政権崩壊後約3年ぶりに、新憲法に基づく正式政府が発足した。
《「フセイン政権崩壊」について英会話》
閣僚ポストは、シーア派、スンニ派、クルド人の各勢力の人口比率をほぼ反映した配分となった。
しかし、治安を担当する国防相と内務相の人事については各勢力の合意が得られず先送りされ、首相と副首相が当面兼任することになった。
[「イラクの3大勢力」を英語論説のテーマとして]
05年10月15日、新憲法草案の是非を問う国民投票が行われた。
起草作業は多数派のシーア派主導で進められたが、スンニ派が草案に異議を唱えて難航した。
焦点は連邦制の導入だった。
油田地帯がシーア派とクルド人の地域に集中しているため、連邦制が導入された場合、両勢力が石油収入を独占し、国が分裂するとスンニ派が反対した。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
結局、投票直前にスンニ派の有力政党が将来的に憲法改正を検討することを条件に賛成に転じたこともあって、新憲法案は承認された。
スンニ派が優勢な中部から北西部の2州では反対が8割を超えたのに対し、北部のクルド人地区や南部のシーア派地域で賛成が9割を超えるなど、イラク国民の間の極端な意見の対立が浮き彫りになった。
[「イラク国民の分裂」を英会話/ディスカッションのテーマとして]
05年12月15日、新憲法の下で国民議会選挙が実施された。
同年1月の暫定国民議会選挙をボイコットしたスンニ派も今回は参加し、投票率は70%に達した。
今年1月に発表された最終開票結果では、シーア派の最大会派「統一イラク連合」が第1党となり、クルド人政党の連合会派「クルド同盟」がこれに続いた。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
統一連合が議席の過半数を占めるには至らなかったため連立交渉が始まった。
2月にはイラク中部にあるシーア派の聖地で爆破事件が発生し、これをきっかけにシーア派とスンニ派の衝突が全土に広がった。
《「シーア派聖廟爆破事件」に関して英語記事》
連立交渉は新政府の主要ポストをめぐって難航した。
統一連合が首相候補に推薦したジャファリ移行政府首相をクルド人とスンニ派が拒絶したためだ。
4月になってジャファリ氏が首相人事を統一連合に一任すると表明したことから、事態が一気に動き出し、4月22日の国民議会で大統領にタラバニ移行政府大統領、首相に統一イラク同盟のヌーリ・マリキ氏が選出された。
<英語にて解説:ヌーリ・マリキ氏の略歴>
これでイラク民主化の政治プロセスは一応、完結したことになる。
米政府はイラクの正式政府発足に対し「完全に合法的な政府が誕生した」と歓迎の意を示した。
《「正式政府発足の意義」について英会話/ディスカッション》
しかし、米国が目指してきた「安定した民主国家」には程遠いのが現実だ。
今やイラクは、イスラム過激派のテロに加えて、宗派対立によるイラク人同士の殺りくが深刻化して内戦寸前の状態だ。
新政府の最優先課題が治安の回復にあることは言うまでもない。
[「イラクの治安回復」を英会話/ディベートのテーマとして]
スンニ派の武装勢力やシーア派の民兵組織をどこまで解体できるかが重要になってくるだろう。
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