チェチェン独立を目指すイスラム武装勢力がモスクワのミュージカル劇場に観客など800人以上を人質に立てこもっていた事件は26日、ロシアの特殊部隊が突入して大多数の人質を救出し、事件発生から50時間で決着した。
《「チェチェン独立派」について英語にて解説》
これまでのところ、救出の過程で120人近くの人質が犠牲になったことがわかっている。
犯人らはロシア軍がチェチェン共和国で続けている軍事行動を停止し、撤退するよう要求していた。
[「チェチェンでのロシアの軍事行動」を英会話のトピックとして]
50人ほどの武装勢力はリーダーのバラエフ野戦司令官を含めてほぼ全員が射殺された。
チェチェン武装勢力による人質事件はこれまでも起きている。
<英語記事:チェチェン武装勢力による人質事件>
1995年6月にはロシア南部の村の病院を乗っ取り、120人以上の死者が出た。
96年1月には隣接するダゲスタン共和国の病院を占拠、80人近い人が死亡した。
チェチェン問題は、19世紀初頭に帝政ロシアが北カフカス地方の植民地化に乗り出したころにさかのぼる。
《「チェチェン問題の歴史」に関して英語論文》
以来チェチェン民族はロシア支配に激しく抵抗を続けた。
独ソ戦中には、ナチス軍に協力したとしてスターリンによって民族ごと中央アジアに強制移住させられた。
チェチェン共和国は91年のソ連崩壊前に独立を宣言したが、連邦政府はそれを認めず、94年にロシア軍の侵攻によって「第1次チェチェン紛争」が始まった。
96年には和平合意が成立したが、99年夏、一部の武装勢力が隣の隣国のダゲスタン共和国に侵攻するなど過激化したことから、再び戦争状態となり「第2次チェチェン紛争」に突入した。
<英語にて解説:チェチェン紛争の経過>
ロシア軍による苛烈な軍事作戦や人権侵害に欧米から批判が噴出したが、昨年の同時多発テロ後状況が変わった。
〔英会話表現による言い換え〕
チェチェン武装勢力の幹部らは、タリバーン政権下のアフガニスタンでテロ訓練を受けており、国際テロ組織アルカイダともつながりがあるとされる。
反テロで欧米諸国と手を組んだプーチン大統領は、チェチェン紛争は国際テロとの戦いだと主張、欧米諸国はこれに理解を示し、ロシアの軍事力行使への批判はトーンダウンした。
《「ロシア批判のトーンダウン」について英会話/ディスカッション》
そのためかロシア軍の掃討作戦は今年に入って激しさを増し、そうした状況に追い詰められたあせりから、チェチェン武装勢力が今回の劇場占拠に及んだと考えられる。
死亡した人質のほぼ全員が救出作戦で特殊部隊が使用したガスによる中毒死だったことから、ガス使用の是非をめぐってロシア国内でも議論が起き始めた。
[「特殊部隊のガス使用」を英会話/ディベートのテーマとして]
今のところ使用されたガスが何であるのか不明だが、人質に多くの死者が出たことについては当局の計算違いがあった可能性がある。
プーチン大統領は今回、罪のない市民を人質に取るという卑劣なテロ行為には屈しないという強い意志を示したことで、国民の支持は高まるはずだ。
だが、ロシア政府に対するチェチェン住民の根深い不信感がテロの温床になっている現実を忘れてはならない。
〔英会話用の口語文体で言い換え〕
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