スパルタ英語・英会話 NCC綜合英語学院

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英語・英会話 リーディングプラザ


◇論理の感覚を鋭敏に

英語は私たち日本人にとって外国語である以上、受験英語に限らず、英語の学習には、覚えるという作業は欠かせません。 単語・コロケーション・句動詞・イディオム・文法・構文など、こういったものはみな覚えなければならないことであって、それなしには英語の学習が成り立たないことは否定できません。

しかしだからといって、そういう知識を積み重ねていきさえすれば、どんな英文でも読めるようになると考えるとしたら、それは錯覚に過ぎません。 たとえば、ある英文の中に、形容詞を修飾するsoがあり、その少し先のほうにthatが出てくるとします。 それを見て「あれだ!あの<so ... that>構文だ」と考える人がいるかもしれません。 確かに<so ... that>構文は受験生が覚えなければならないものの一つなので、そう考えるのも自然なことです。 問題はそれで終わりにしてしまうことです。 果たしてその読み方で内容的につじつまが合うのかどうかということを確かめもせずに、自分が覚えている知識にあくまでも固執する−そういった態度では英文の正確な理解は望みようもありません。

どんな文章にも、それが日本語であれ英語であれ、だれが読んでも納得する論理の筋というものが通っているはずです。 それは万人共通のものです。 もちろんよく言われるように、日本人と英米人との間には、ものの考え方、発想の相違というものはあります。 それでも、そういうものに先立ってすべての人間に共通する論理というものがあるのであって、それに従って文章を読まなければその内容を捉えることはできません。

したがって、ある英文を知識という道具を使って解釈したら、次にそれで論理の筋が通っているかどうか、その内容を吟味することが絶対に必要になってくるのです。 そして、少しでも変だ、おかしいと感じたら思い切って別の読み方を試みることです。 今、筋が通っているかを吟味すると書きましたが、おそらくそれは一瞬にして行われるものでしょう。 私たちには、自分の目の前をことばが流れてゆくとき、そこにちょっとでも不合理なものや不調和なものがあれば、それをただちに感じ取る感覚が備わっているからです。 そういう論理の感覚と呼ぶべきものを普段から研ぎ澄ませておくことは、文章を読んでその内容を正確に理解するために不可欠なことです。 試験という場に限っても、実戦において本当に役立つもの、頼りになるものは、半ば自動的に働く感覚だけだからです。 文章を最初から最後まで論理的に読むという経験を何度も繰り返すことによって、論理の感覚が常に生き生きと鋭敏に働くようにしておくこと。



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