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◇抽象的思考に慣れる長文読解問題で目にする英文のジャンルの一つに評論文があります。 そして多くの人が、この評論文に対したときに、何となく難しいという印象を抱くようです。 それでは、この評論文のわかりにくさとはどこから生じるのでしょうか。 ここで、小説の場合について考えてみることにします。 言うまでもなく小説の叙述の多くは具体的です。 しかもそこに書かれている内容は私たちの経験の中で理解しうるものです。 小説にも作者の思想というものがありますが、それはあくまでもある特定の具体的な作中人物の行動を通して表現されます。 小説と比べると、評論文の難しさがどこにあるのかが見えてきます。 それはその抽象性にあるのです。 評論文は主に、筆者の思想を普遍的な形において述べることを目的としています。 したがって、表現される内容は抽象的であり、表現のために用いられることばも多くが抽象的なものです。 もちろん、筆者は主張を論理的に展開する中で具体例の提示などを行いますが、それでも評論文からその抽象性を拭い去ることはできないでしょう。 ところで、私たちの多くは日常生活において、抽象的用語を使って抽象的観念を操作すること、つまり抽象的思考をあまり行いません。 ほとんど行わないといってもいいかもしれません。 そこで、私たちは評論文に対したときに、日常生活の中での思考とは別種の思考の展開についていくことを強いられるために、とまどいや難しさを覚えるのでしょう。 このように考えてくると、評論文を読んでわかるようになるためには、まず抽象的思考に慣れなければならないということになります。 日常的な経験のことばと抽象的なことばとの間にある溝を飛び越えることができるようにならなければならないのです。 そのためには、やはり評論文―英語・日本語を問いません―を読むことによって抽象的思考に慣れ、抽象的思考を身につけることです。 抽象的思考が日常生活の中で自然に体得することが難しいものである以上、そうするより仕方がありません。 評論文を読んでいく中で抽象的用語や抽象的概念に親しんでいくようにするのです。 その際、ことばの定義を明確にするために辞書を引く手間を惜しんではいけません。 |
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